釘と屏風

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【書評】馬場広大「みかんの木」(左部)

馬場広大「みかんの木」

 

港町へ出た。マルイチの前を通った。さっきまで奈々がレジを打っていた店だ。何のことはない、海と山を行ったり来たりしているだけだった。この島にはそれしかなかった。昔、映画の撮影に来た女優が「何もなくて退屈だ」と騒いだとき、島の人間は「海でも見てください」と言った。女優はそれを笑い話にした。島の人々も笑った。尚人は笑えなかった。笑えない自分を叩きつぶしたい気もした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

2018年度に織田作之助青春賞を受賞した馬場は鹿児島の作家だ。それは馬場が現在鹿児島に在住しているからだとか、産まれた土地が鹿児島だからという意味ではない。

彼の作品と鹿児島が、肉体と精神のように接続されているからこそ、馬場は鹿児島の作家なのである。

 

「みかんの木」は全体を通して青臭く、独りよがりな男の自意識が炸裂する。正直読んでいて恥ずかしいところもあるが、その恥ずかしさを作中人物の尚人や作者と同世代の私もまた内包している。登場人物の「尚人」が自分の故郷を馬鹿にされて「笑えなかった」のと同じく、私も彼の自意識を笑えない。これは尚人と同じく鹿児島の田舎・郊外で育った私の問題でもあるのだ。

簡単な紹介、書評を書いていきたい。

 

概要・書評

舞台は鹿児島県のとある離島。島から離れ、鹿児島市の大学に進学した尚人は夏休みを利用して帰省する。

 

父がビニール袋を提げてやってきた。尚人の前で広げて見せた。きゅうりだった。太く、反っている。(中略)水っぽいにちがいない、と尚人は思った。しかしそれは果実のようで、冷やして丸かじりするのとうまいのを知っていた。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

「みかんの木」では、性や男性器を彷彿とさせるメタファーが多く登場し、作品の随所に湿度の高い汗の匂いが充満している。この湿度の高さこそが、馬場文学の魅力だと私は思う。

 

「あの子ね、尚人くんの来るの楽しみにしてたけど、今日急に仕事が入ったのよ」スーパーのレジ打ちだ。

「そうなんですか」尚人は、自分の声が低いのに気づき、咳をした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

本来、わざわざ奈々の母のセリフの間に「スーパーのレジ打ちだ」などと書く必要はない。尚人が奈々とスーパーのレジ打ちをどこかで見下している心の様が目に見えるようでムカつくが、その直後に「自分の声が低いのに気づき」(=女の子の不在にショックを隠せない尚人)「咳を」する(=照れ隠し)のだ。それでいながら、奈々の母親の笑い方を「だらしない笑い方」なんて形容している。お前のその自意識が一番だらしないよ!と、突っ込みたくもなるが、わたしにも心当たりがあるので笑えない。ある恋愛対象に対して、その親(やその他付随ふる要素)にまで理想を描いてしまうのが愚かな男の習性だろう。

 

(奈々に対して=左部注) 「上がっていく?」と母が言った。尚人は口を挟めなかった。変にふるまうと冷めてしまう気がした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018

 

自分の恋慕の情を人(≒親)に悟られたくない、だからこそ「変にふるま」うことなく大人な態度として「口を挟ま」ないこの態度。尚人(=19になる歳と思われる)の年齢であれば、このねじれた感情の推移にも思い当たるフシがあるのではないだろうか。

そうやって、見下しながらも/会えて嬉しい、という二律背反する感情を抱いた尚人は、小説のラストにおいて、奈々が島にいた頃から変化、もしくは変わらないという事実=新たな内面の発見を果たすことになる。

18年間、尚人は島を自身の劣等感を通じてしか見ることが出来なかった。「本土」から「島」に戻り、再び島を見つめた尚人は、初めて自身の「劣等感」というフィルターを外して島を見つめる。

 

「そこまではしないよ」「したい」「したいの?」「したい、したい」「じゃあちゃんとお願いして」「させてください」奈々の手が伸びた。尚人のそれをなでた。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

そうして尚人は新たな内面の発見に成功、自意識の殻を打ち破ることに成功する。奈々という恋人を通じて。

尚人が誰かの「恥」を考えるとき……例えば、妹が恥じらいもない姿を見せた時、尚人はその原因を彼が育った「島」(=環境)に求める。

諸所の原因は「島」という環境起因すると「思えてならなかった」尚人は、「島」と「島に住む人々」という因果の中でのみ自身やその周辺を考えてしまっていた。

その視野の狭さをこそ、彼は自覚したのかもしれない。「させてください」と奈々にすがるその姿こそが、尚人が「島」というフィルターを外して「島に住む人々」を見ることが出来たことの証ではないだろうか。

 

おわりに

 

唐突ですが、皆さんにとってのテーマ(この場合は生活する上でも生きる上でも)はなんですか?

私は正直、よく分かりません。

 

「みかんの木」の馬場は自身の問題に真正面から取り組んでいると私はこの熱量を帯びた作品からひしと感じた。私はそこに最大級の敬意を払いたい。

それはその行為が、良く生きようとする感情の顕れのように思えるからだ。馬場は自身の最も弱い箇所にメスを入れている。その苦しみを皆さんもご存知だろう。

 

・・・・・・ところで、本作は第34回織田作之助青春賞を受賞した。選考委員の一人、吉村萬壱は語る。

 

二人を衝き動かしているものが、彼ら自身も気付いていない、本土に島民を取られないようにするための島の魔力のようなものであるという点が実に不気味だ。尚人はセックスの中で、島に根付いたみかんの木になる。

吉村萬壱「第三十四回織田作之助青春賞 選評」

三田文学 冬季号』2018.2

 

果たして本当に「本土に島民を取られないようにするための島の魔力」が働いているのだろうか。

 

私はそうは思わない。

 

(完)

 

文・左部

三田文学 2018年 02 月号 [雑誌]

三田文学 2018年 02 月号 [雑誌]