釘と屏風

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”釘と屏風”は3人組の文芸ユニットです

【小説】左部右人「シュークリームの季節」「墓標の羊、無理解のロンド」ー5~6年前に書いた小説です。村上春樹氏のことが、好きだったんだな。

左部右人「シュークリームの季節」「墓標の羊、無理解のロンド」ー5~6年前に書いた小説です。村上春樹氏のことが、好きだったんだなぁ。

 

 

「内気で傲慢なだけなんだ」と僕はワインをグラスに注ぎながら渡辺昇に向って説明した。「内気と傲慢の折り返し運転をしてるんだよ」

「わかるような気はします」と渡辺昇は肯きながら言った。「でも一人になったら―つまり彼女と僕が結婚しちゃったらということだけど―やはりお兄さんも誰かと結婚したいと思うようになるんじゃないですか?」

「そうかもしれない」と僕は言った。

「本当に?」と妹が僕に訊いた。「本当にそう思うんなら私の友だちに良い子がいるから紹介してあげてもいいわよ」

「そのときになったらね」と僕は言った。「今はまだ危険すぎる」

村上春樹ファミリー・アフェア」『パン屋再襲撃講談社文庫、1989

 

 

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 

 

小説って結構面白い

こんにちは、左部右人(@bungei_pops)です。

この文章は8月12日に鹿児島の自宅で書かれています。

最近、何をやるにもやる気が出ず、だらだらとお酒を飲んでTwitterを見て友人に電話をしながら日々を過ごしておりました。元来、私は小説が好きで、不出来ながら自ら執筆などもしていたのですが、その小説も、7月に入った頃からほとんど読まなく(書かなく)なってしまいました。小説を書こうと思っている人間が小説を読まないだなんてと~んでもない話です。インプットがなければ面白い小説は書けません。

で、「こりゃあ、困ったぞ」ということで、小説をちゃんと読もうと、思いを新たにしたのでありまして、昔読んだ短編とか読んであの頃のことを思い出そう、と本棚から取り出したのが村上春樹

それでまあ、ペラペラ読んでるとまあ、ゲラゲラ笑けてきましたので、ページも進む進む。徐々に他の小説も読めるようになってきたのです。

最近、春樹氏が文芸誌に結構な頻度で登場していたこともあり(珍しいことなのです。荒川洋治という詩人は『文芸時評という感想』の中で「村上春樹大江健三郎もみんなと一緒に(文芸誌で=左部注)書いて欲しい」といったことをかつて書いていましたが、まあ、それ位登場する頻度が少なかったのです)、手に取ったのですが、まあよかった。

去年色々問題になった批評家の渡部直己氏は、村上龍5分後の世界』の文庫版の解説(これまた話題になった幻冬舎文庫)の中で、「物語」(だったはず)を①「小説」と②「読物」に分類して自身の「小説論」(=「物語論」とした方が正確?)を展開しておりました。

す~ごく簡略化して言うと

 

①「読物」=面白いけど、別に読んだ後私たちの人格にはなんらの影響も与えない「物語」

②「小説」=読む前と読み終わった後では、その後の生き方に影響を与える「物語」

 

というマッチョな分類を渡部氏は行ったのです。で、前者の「読物」として村上春樹作品を。後者の「小説」を村上龍作品を挙げていたのです。

 

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 

 

上の前提の下に続けますが、国文学者の斎藤理生氏は読書の方法は大きく分けて二つあると言います。

 

Ⅰ.ベッドに寝転んでゲラゲラ笑って読む

Ⅱ.机に向かってカッチリ読む

 

で、多分私はそう短くない間②をⅡの方法で読んでいたと思うんですね。そりゃあ、疲れますね。

だからまあ、①の村上春樹作品をⅠの方法で読んでいる今、まあぼちぼち読書が出来るようになっているというわけなのです。本気で読むのではなく、暇つぶし~程度に読むってことですかね。違う?

 

渡部直己氏の分類の賛否や正確さは置いといて、重い話ばかりカッチリ読んでいては、やっぱり疲れますよね。長く続けていく為には、続けるための努力も必要なのではないでしょうか、ということをこの文章を書きながら思ったものでした。

 

どっちの読書も素敵なものですが。

 

その時々の自分に合った本を、選んでいきたいものですね。適当な結びですが、ブログなので許してくださいね。では。

 

以下、昔書いた散文です↓

 

墓標の羊、無理解のロンド

kakuyomu.jp

園子温希望の国』を参考にしました。結構気に入ってます。

シュークリームの季節

kakuyomu.jp

村上春樹を参考にしました。結構クサイです。

 

お暇な方は、是非に。