釘と屏風

釘と屏風

”釘と屏風”は3人組の文芸ユニットです

【詩】2018.8-2019.5-ネットに放った言葉の記録……とかSOREっぽくキメてMIる。YOI詩集とか(左部)

2018.8-2019.5-ネットに放った言葉の記録

 

左部右人です。

5月も終わり、6月に入りましたね。梅雨時です。私は長崎と鹿児島と北海道の6月しか知りませんが、九州は常時びっしょびしょです。対して北海道は平常運転、さして雨が降り続ける、ということもなかった、はず。

 

……鹿児島は湿度が高くなり、雨が降る日が続きます。

外に出るのも億劫、かといって長々と読書にふけるのも気が進まない。そんな時は、詩集を開きましょう! 最短一分で読めてしまいます。テレビCMの間にも読めてしまいます。更に、詩ってよく分からないので、一遍に対して長々と考え、読みを楽しむこともできます。コストパフォーマンス、最強!

 

ということで、大体1年くらいの間にネットに発表した詩をまとめました。

kakuyomu.jp

 

ほとんどは、詩の投稿サイトB-REVIEWに投稿したもので、こちらのサイトでも私の書いた詩を一覧で読むことが出来るのですが、他サイトに発表したものもあるので、まとめてみました。ネットへの投稿もやめようと思っていたので、記念です。

ネット詩からおすすめをいくつか

 

・るるりら「グリコのおまけ」

www.breview.org

 

・渡辺八畳「たったひとりで伸びていったクレーンへと捧げる詩」

www.breview.org

 

ネット詩の掲示板って面白くて、良くも悪くも誰でも参加出来るし誰でも感想を書けるし、一作投稿すれば大体レスポンスも返ってくるので、「詩を発表したい~」という方には結構おすすめです。有象無象が犇めいていますが、お近づきになりたくない人は避けてしまえばよいのです。

……それはそれとして、上にまとめた私の詩群の中から一遍。

 

左部右人「親父は暴走する列車に乗って」

拝啓、親父さま。

貴殿の乗り合わせた列車が

はみだしてしまわぬように、

羽虫を殺すのをやめました。

透明な蜻蛉の四枚の羽根が

貴殿の乗り合わせた列車の、

翼となってくれますように。

 

拝啓、お袋さま。

貴女の寄り添うたおとこが

ふりおちてしまわぬように、

羊を殺すのをやめました。

繊細な羊毛が幾重にも重なって、

おとこの骨身を包み込み

貴女の艶やかな髪の毛を、

おもいだしますように。

 

拝啓、親父さま。

暴走する列車の中で

貴殿のその哀しみを

切符とするのもいいでしょう。

 

拝啓、お袋さま。

貴女の忘却したおとこが

暴走する列車に乗って

記憶の果てを迷走しているのでしょう。

貴女もまた、

貴女の哀しみを綱として

暴走する列車に乗り込んでみるのもいい。

 

歎願、いたします。

私の手に入れた 透明な翼と、

繊細な羊毛も、

どうか持って行ってください。

きっと力になれるでしょう。

わたしは、

お二人の帰るただ一つの駅として、

いつまでも待っておりましょう。

暴走する列車の、懐かしい汽笛を。

 

ついでなのでおすすめの詩集を。梅雨時はたくさん本が読めるのです。

 

上に梅雨の話をしたので、ここ一年くらいの間に読んだ詩集の中でおすすめを一言で紹介してみます。

 

マーサ・ナカムラ「狸の函」

2018年度の中原中也賞(詩の新人賞)を受賞した作品です。

民話を幻想小説に仕立て上げて不条理を足して「良く分からない箇所」だけをピックアップして詩に仕上げました、と言った詩が押し込められた詩集。

選考委員の高橋源一郎氏曰く、「選考委員全員がノックアウト」されたらしいですね。圧勝だったそうです。 

 

狸の匣

狸の匣

 
岩倉文也「傾いた夜空の下で」

 2018年度ユリイカの新人に選ばれた詩人です。90年代後半誕生。

短歌と詩の冊子です。イメージカラーは青。情景より先に匂いが浮かんでくる詩集です。

傾いた夜空の下で

傾いた夜空の下で

 

 

最果タヒ『天国と、とてつもない暇』

谷川俊太郎以降で考えると、ぶっちぎりの人気を誇っている詩人です。

私も結構好きで読みます。デビュー当時の評価はその先鋭的な作風から低いものでしたが、徐々に人気を博し、今では大人気作家に。「愛」とか「好き」とか直接的な言葉を多用しますが「最果タヒがいつ恋愛について書いたのだろうか?」という評価もあるように、文字を意味を持ったただ一つの「記号」として配置しているように見えるのが特徴的。最果氏の作品で最も好きなフレーズは「君が私のことを好きなまま 他の誰かと幸せになると良い」(誤差があったらすみません)です。

天国と、とてつもない暇

天国と、とてつもない暇

 
 

 

おわりに

詩っていつでもどこでも読者にも作者にも評者にもなれる表現だと思います。私たちは常日頃から言葉や文字を使ってコミュニケートしています。点字や手話も言葉であり、文字です。詩は、誰にでも読める書ける感想も言えちゃいます。韻を踏んでも踏まなくても詩にはなります。定型詩もあれば自由詩もあるのです。やることなくて、暇。という方、詩に触れてみてはいかがですか。「誰にでも読める感想も言えちゃう」というところに横着して表現の幅を自ら狭めてしまわないよう、注意をしましょう。

ではでは。

 

※6月は祝日がないのでざんねんですが、がんばっていきましょう。

 

【書評】馬場広大「みかんの木」(左部)

馬場広大「みかんの木」

 

港町へ出た。マルイチの前を通った。さっきまで奈々がレジを打っていた店だ。何のことはない、海と山を行ったり来たりしているだけだった。この島にはそれしかなかった。昔、映画の撮影に来た女優が「何もなくて退屈だ」と騒いだとき、島の人間は「海でも見てください」と言った。女優はそれを笑い話にした。島の人々も笑った。尚人は笑えなかった。笑えない自分を叩きつぶしたい気もした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

2018年度に織田作之助青春賞を受賞した馬場は鹿児島の作家だ。それは馬場が現在鹿児島に在住しているからだとか、産まれた土地が鹿児島だからという意味ではない。

彼の作品と鹿児島が、肉体と精神のように接続されているからこそ、馬場は鹿児島の作家なのである。

 

「みかんの木」は全体を通して青臭く、独りよがりな男の自意識が炸裂する。正直読んでいて恥ずかしいところもあるが、その恥ずかしさを作中人物の尚人や作者と同世代の私もまた内包している。登場人物の「尚人」が自分の故郷を馬鹿にされて「笑えなかった」のと同じく、私も彼の自意識を笑えない。これは尚人と同じく鹿児島の田舎・郊外で育った私の問題でもあるのだ。

簡単な紹介、書評を書いていきたい。

 

概要・書評

舞台は鹿児島県のとある離島。島から離れ、鹿児島市の大学に進学した尚人は夏休みを利用して帰省する。

 

父がビニール袋を提げてやってきた。尚人の前で広げて見せた。きゅうりだった。太く、反っている。(中略)水っぽいにちがいない、と尚人は思った。しかしそれは果実のようで、冷やして丸かじりするのとうまいのを知っていた。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

「みかんの木」では、性や男性器を彷彿とさせるメタファーが多く登場し、作品の随所に湿度の高い汗の匂いが充満している。この湿度の高さこそが、馬場文学の魅力だと私は思う。

 

「あの子ね、尚人くんの来るの楽しみにしてたけど、今日急に仕事が入ったのよ」スーパーのレジ打ちだ。

「そうなんですか」尚人は、自分の声が低いのに気づき、咳をした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

本来、わざわざ奈々の母のセリフの間に「スーパーのレジ打ちだ」などと書く必要はない。尚人が奈々とスーパーのレジ打ちをどこかで見下している心の様が目に見えるようでムカつくが、その直後に「自分の声が低いのに気づき」(=女の子の不在にショックを隠せない尚人)「咳を」する(=照れ隠し)のだ。それでいながら、奈々の母親の笑い方を「だらしない笑い方」なんて形容している。お前のその自意識が一番だらしないよ!と、突っ込みたくもなるが、わたしにも心当たりがあるので笑えない。ある恋愛対象に対して、その親(やその他付随ふる要素)にまで理想を描いてしまうのが愚かな男の習性だろう。

 

(奈々に対して=左部注) 「上がっていく?」と母が言った。尚人は口を挟めなかった。変にふるまうと冷めてしまう気がした。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018

 

自分の恋慕の情を人(≒親)に悟られたくない、だからこそ「変にふるま」うことなく大人な態度として「口を挟ま」ないこの態度。尚人(=19になる歳と思われる)の年齢であれば、このねじれた感情の推移にも思い当たるフシがあるのではないだろうか。

そうやって、見下しながらも/会えて嬉しい、という二律背反する感情を抱いた尚人は、小説のラストにおいて、奈々が島にいた頃から変化、もしくは変わらないという事実=新たな内面の発見を果たすことになる。

18年間、尚人は島を自身の劣等感を通じてしか見ることが出来なかった。「本土」から「島」に戻り、再び島を見つめた尚人は、初めて自身の「劣等感」というフィルターを外して島を見つめる。

 

「そこまではしないよ」「したい」「したいの?」「したい、したい」「じゃあちゃんとお願いして」「させてください」奈々の手が伸びた。尚人のそれをなでた。

馬場広大「みかんの木」『三田文学』冬季号2018.2

 

そうして尚人は新たな内面の発見に成功、自意識の殻を打ち破ることに成功する。奈々という恋人を通じて。

尚人が誰かの「恥」を考えるとき……例えば、妹が恥じらいもない姿を見せた時、尚人はその原因を彼が育った「島」(=環境)に求める。

諸所の原因は「島」という環境起因すると「思えてならなかった」尚人は、「島」と「島に住む人々」という因果の中でのみ自身やその周辺を考えてしまっていた。

その視野の狭さをこそ、彼は自覚したのかもしれない。「させてください」と奈々にすがるその姿こそが、尚人が「島」というフィルターを外して「島に住む人々」を見ることが出来たことの証ではないだろうか。

 

おわりに

 

唐突ですが、皆さんにとってのテーマ(この場合は生活する上でも生きる上でも)はなんですか?

私は正直、よく分かりません。

 

「みかんの木」の馬場は自身の問題に真正面から取り組んでいると私はこの熱量を帯びた作品からひしと感じた。私はそこに最大級の敬意を払いたい。

それはその行為が、良く生きようとする感情の顕れのように思えるからだ。馬場は自身の最も弱い箇所にメスを入れている。その苦しみを皆さんもご存知だろう。

 

・・・・・・ところで、本作は第34回織田作之助青春賞を受賞した。選考委員の一人、吉村萬壱は語る。

 

二人を衝き動かしているものが、彼ら自身も気付いていない、本土に島民を取られないようにするための島の魔力のようなものであるという点が実に不気味だ。尚人はセックスの中で、島に根付いたみかんの木になる。

吉村萬壱「第三十四回織田作之助青春賞 選評」

三田文学 冬季号』2018.2

 

果たして本当に「本土に島民を取られないようにするための島の魔力」が働いているのだろうか。

 

私はそうは思わない。

 

(完)

 

文・左部

三田文学 2018年 02 月号 [雑誌]

三田文学 2018年 02 月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

 

 

【雑記】図書館のすヽめ・後編ー村上春樹『海辺のカフカ』が懐かしく思い出される今日。(左部)

「書架には自由に入っていいよ。閲覧したい本があれば、そのまま閲覧室に持っていくことができる。ただし赤いシールがついている貴重な書籍については、その都度閲覧請求カードを書いてもらう。そちらの右手の資料室にはカード式の索引と、検索用のコンピュータがあるから、必要があったら自由に使っていい。本の貸し出しはしていない。雑誌と新聞は置いていない。カメラは禁止。コピーも禁止。飲食は庭のベンチで。閉館は5時」

(中略)

  ソファに腰かけてあたりを見まわしているうちに、その部屋こそが僕が長いあいだ探し求めていた場所であることに気づく。僕はまさにそういう、世界のくぼみのようなこっそりとした場所を探していたのだ。

村上春樹海辺のカフカ』新潮、2002

 

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 

図書館のすすめ後編

(前編)

 

kugitobyoubu.hatenablog.com

 

・・・・・・図書館に住みたい。図書館が好きだ。まず天井が突き抜けてるのがいい。多くの場合、突き抜けてる。あと、何時間もダラダラ過ごしていても何も言われない。勉強できるスペースもある。飯も食える!

それから、子供たちが元気に走り回ってるのがいい。その光景を見て、微笑ましく大人の余裕をカマしてる俺カッケェってなれるのが良い。

さらに、司書の方々がみな優しい。私がこれまで通ってきた図書館の司書さんはいい人たちばかりだった。オススメの古本屋とか教えてもらったりする。よく分からんイベントに行くと声をかけてもらえたりする。だからどこの司書さんもいい人ばかりだと思いたい。学校を出てはじめてのGWは母校の図書館に行った。「他に行くところないの?」と言われた。ありません。

 

しかし、図書館に通い出すと分かるが大体通ってるのはいつメンだ。いつものメンツである。年間400日くらい通ってる私であれば100人単位でいつメンだと判断できる。

 

なので、普段図書館を利用しない皆さんにも図書館の良さを知ってもらいたいと思う。私の住む鹿児島市の図書館について、紹介していきたい。市外県外の人は、鹿児島市を訪れた際の参考にしてもらえれば幸いである。

 

鹿児島大学附属図書館

 

鹿児島は郡元にある図書館だ。鹿児島大学の中にあるが、一般の方も利用できる。小学生から老齢の方まで様々な層の人が利用している。市電工学部前駅から徒歩5分。

 

万が一図書館の場所が分からなかったら学生に聞こう。ある程度落ち着いた外見の方に声をかけるのがベターだ。大体は親切に教えてくれる。

受付に入ったら、まずはカウンターへ向かう。駅の改札みたいな機器があって、利用許可証を作る必要がある。1日利用券と無期限フリーパスがあるが、特に費用もかからないのでフリーパスをお勧めする。

館内へ入ると、まず目に入るのが、広間の展示だろう。大学のサークルの展示や、先生方の活動の記録なんかが展示してある。これが案外面白い。

2階から書架になる。勉強スペースもあるので、好きな本を手に取って席に着き、本を読もう。充電もできる。エレベーターもあるので、体力に自身の無い方や運動が嫌いな方は率先して使おう。

飽きたら2階の飲食スペースで飲み食いするのもいいし、鹿大の学食(土曜も昼間はやってる)に向かうのもいい。その辺の学生にオススメの学食メニューを尋ねてみるといいだろう。

さて、腹ごしらえも済ました後、図書館に戻る前に何かしたい、と思ったあなたはついている。鹿大の博物館に向かうといい。植物園を抜けた先にあるのだが、これがまた面白い。小綺麗な建物で尚且つ人も少ないのでゆっくりと楽しめるでしょう。

・・・鹿大附属図書館にしかない本として、古い雑誌なんかが挙げられる。

例えばこれ

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村上春樹群像新人賞を取った文芸誌は『群像』の号である。多くの図書館は、雑誌に関しては3〜5年の間で処分してしまう。収納するスペースにも限りがあるので仕方がない。このように30年以上前の雑誌が読めるのは、大学図書館の強みかもしれない。鹿児島の市立図書館や県立図書館は3年で廃棄になる。鹿児島でこれだけ古い雑誌が読めるのは、私の知る限り、各大学の附属図書館だけである。蔵書数は鹿大が最も多い。面白い雑誌が多々あるので漁ってみてほしい。

 

こちらから大学のMAPが見れる。参考にして欲しい。

https://www.kagoshima-u.ac.jp/about/campusmap.html#01

 

鹿児島市立図書館

 

鹿児島市立図書館である。市電郡元駅から徒歩10分。毎年6月頃に書庫の整理として配本をしているので、関心のある方は図書館に足を運んだ際に聞いてみるといい。結構いい本があったりする。

お世辞にも大きな図書館とは言えないが、文庫本はの冊数に関しては鹿児島の図書館としては随一ではないだろうか。子ども向けのイベントが多いのが印象的。朗読や映画の鑑賞会が頻繁に行われている。祝休日や長期の休み期間になると子どもたちの駆け回る声が聞こえるがもう慣れた。家族連れは過ごしやすい場所かもしれない。

2階には学習スペースもあるが、中高生も多く利用している。静かすぎないのが逆に良いのかもしれないと近頃は思う。

子どもが泣き出すのを気にして図書館に行けない方(そんな方がいるかは分からないが)是非とも利用してほしい。多分、利用者の多くは気にしないし、そのことでバツの悪い思いをするような環境ではない。

当然、度を過ぎた騒ぎを起こせば警備員さんに叱られることになるのだが。あくまでも市営、つまりは全ての人が平等に楽しむ権利を持っている。あなたの身勝手な行為が誰かに迷惑が及んでいるのかもしれない、と頭の隅に置いておこう。無料のようだが、税金で運営されている。私のような大の大人がごく一般的な本を片手にケラケラと笑い声を立てながら過ごすのはダメだろう。気味が悪い。事務所に連れていかれる可能性もゼロではない、私もいつも震えている。

 

ところで、本施設は渡り廊下を介して科学館にも行ける。大人は400円、子どもは150円。私も失業した頃はたまに足を運んでいた。平日の昼間にいけば人も少なく、私のように10年着古したジャージにクロックスを履いた20代半ばの男も親切に迎えてくれる。

係員さんがいないと利用できない体験コーナーがある。私は「こんなだらしない大人が子供向け施設を使う為に声なんて掛けちゃダメだろう」とそそくさと通り過ぎようとしたが、係の方が「良かったらどうですか」と声をかけてくださり、無事に「アフリカと北極の気温の違いを体験しようコーナー」を楽しむことが出来た。私より少し年長の女性だったが、逆の立場だったら私は声をかけないし率先して目を逸らすだろう。ありがとうございました。最近だと、携帯を館内に落としてその旨を告げると、館長さんが一緒に探してくれた。あの時の袖の無いジャージを履いた男が私です、ありがとうございました。

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HP

https://lib.kagoshima-city.jp

 

鹿児島県立図書館

 

私好みの新刊をよく仕入れてくれる図書館だ。つまり、他の方にとっても同様だと考えている。公共機関を使われる方は、市電「いづろ通り駅」で降りると良い。車のある方は車での来館を勧める。

入館する際、荷物をロッカーに預ける必要がある。100円硬貨(当然、帰ってきます)が必要なので用意しよう。車で来る場合は駐車出来る時間に限りがあるので注意が必要だ。声を大して言うことではないが、隣接する博物館・黎明館の駐車場は、黎明館、かごしま近代文学/メルヘン館、美術館を利用する人にも開放されている。特に利用する時間も限られていない。図書館を利用するついでに、駐車場に止めさせてもらい、それぞれの施設を見に行くのも手だ。私も良く使用させてもらっている。黎明館が閉館する時間には駐車場を使用できなくなるのでそこには注意しよう。

ところで私は、近代文学館と美術館で実習をしたことがある。学芸員の方は皆熱心だった。学校を出てはじめてのGWはこちらにも顔を出した。「他にいくところはないの!」と言われた。ありません。

黎明館・文学館/メルヘン館・美術館・図書館、それぞれ市民に向けた開かれた施設だ。無料のイベントも数多く、講座の料金も安い。時間があったら足を運んでみるといい。GWのイベントも多岐にわたる。

以下に核施設のHPを記載するので参照されたい。

 

黎明館

www.pref.kagoshima.jp


 

かごしま近代文学/メルヘン館

www.k-kb.or.jp

 

 鹿児島市立美術館

www.city.kagoshima.lg.jp

 

 

おわりに

いかがだったろうか。色々書いたが、図書館の印象に関しては結局どこも似ている。開かれているのだ。例えばそれが霧島市立図書館でも姶良市立図書館でも日置市立図書館でも同じだろうと思う。図書館は、ただ本が置いてあるばかりではなくそこには館長、事務員、ボランティア、司書など様々な方がいる。

もちろん、利用する方がいなければ成立しない。誰と会話するのも自由だ。奥手な私は図書館で知己を得たことはないが、そういった人もいるらしい。良く分からないが。他者とのコミュニケート、利害のない関係を結びたいと考える人は、イベントに参加してみるのもいいかもしれない。所詮は一過性の交流に過ぎないのかもしれない。しかし、ないよりましだろう。

上に書いた三館に共通するように、図書館の付近には文化施設が併設されていることも多い。楽しんでほしい。そしてイツメンになってほしい。100人のイツメンを見分けられるようになってほしい。

 

・・・・・・余談であるが、私は上の三館に加えて、志學館大学附属図書館、鹿児島国際大学附属図書館、姶良市立図書館、霧島市立図書館、長崎大学附属図書館、長崎市立図書館の利用者カードも持っている。自慢である。いずれは各都道府県の図書館の利用者カードを所有したいと目論んでいる(家の中を物色したが、上に挙げた内の半分は紛失していた)。

 

図書館はよいぞ。疲れたら、図書館に行って、本を読んだり眠ったり遊んだりしよう。帰った頃にはもっと疲れてる。そんな時は、次の日も行ったらいいじゃない。

 

ではでは。

 

文・左部右人

 

 

【雑記】図書館のすヽめ・前編-寺山修司なんかを引っ張り出してみました。(左部)

    ユリシーズの時代には、肉体が見事だというだけで英雄になれた。

    だが現代では見事な肉体の持主は労働者になるか自衛隊に入るしかなくなってしまった。

   そして、君臨しているのは貧弱な肉体とゆたかな頭脳を持ったインテリという種族である。病める叡智のなかで、ああ、肉体の夢は、いずこ?

 

寺山修司「きみもヤクザになれる」『書を捨てよ、町へ出よう』角川文庫1978

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

※『ユリシーズは』アイルランド作家のジェイムズ・ジョイスの代表作。1918年から1920年にかけて連載された大長編

図書館のすすめ・前編

どうも、鹿児島市立図書館卒、左部右人です。現在鹿児島大学附属図書館を生活の拠点に、詩を書いてひっそりと暮らしています。賃貸です。嘘です。

 

・・・・・・図書館が好きだ。週8で通ってる。鹿児島広しと言えど司書さんに旅のお土産を持っていくのは私くらいのものだろう。

ひかれてるんじゃなかと不安である。影で「お土産マン」と言われいるんじゃないか。毒が入ってるからと食べられることなくゴミ箱へ直行しているのではないか、不安である。

嘘だ。そんなことはしない。分別は弁えているのだ。

それくらい図書館が好きだってことである。という訳で、図書館に通うメリットについて今日はお話ししたい。

 

よく眠れる。

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仕事や学業に疲れて眠れない、という人がいるだろう。そんな人は学校や仕事の帰りに図書館へ寄ると良い。その辺にある本(出来れば岩波文庫。あの字が小さい文庫本)を手にとって、出来るだけふかふかの椅子を探そう。そうして腰掛けて活字を読むのだ。気がついたら心地の良い眠りに包まれている。焦らなくて良い。時間(夜の9時とか10時とか)が来たら司書さんが起こしてくれる。これでリフレッシュして明日に臨めるという訳だ。人の邪魔にならないよう、1人用の椅子に座るのが最低限のエチケットだ。

 

タダで遊べる

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図書館は基本的にタダだ。何をやってもタダだ。多くの図書館では映画を観ることも音楽を聴くことも出来る。名作であればあるほど、図書館に蒐集されている。AVコーナーで視聴することが出来る。私も昨年の夏は、夏休みにジブリドラえもんと言ったアニメ映画を楽しむ子どもたちを尻目に育児放棄される子どもたちを描いたヒューマンドラマを観た。泣いた。

誰も知らない [DVD]

誰も知らない [DVD]

 

※かの有名な『万引き家族』の是枝裕和監督の作品です。本当に良い映画なので観て欲しいです。

 

大体の場合、図書館のAVコーナーの画面は隣り合っている。普段はぎゃあぎゃあ騒いで映画鑑賞を楽しむ子供たちであったが、隣でワンワン泣いている成人男性への配慮からだろう。彼らは話し声一つ立てなかった。私は司書さんにチクられたらどうしよう、と思ってその場を辞した。

他にも、夏休み中の子供達であれば、本棚や机を上手く使ってかくれんぼや鬼ごっこが楽しめる。

警備員さんに叱られない程度、遊んでいるとバレない程度に遊ぶのがエチケットだ。疲れたらテーブルを囲んで気になった本でも読もう。

ああ、あとこれは絶対にやってはいけないことだが、パソコン使用可能コーナーをスマホの充電の為に使用するのはやめよう。パソコンを使って毎日のお酒代や食費を稼いでいる人もいる。彼らは家で仕事が出来ず、かといって毎日喫茶店やなんかで贅沢ができる訳でもないので図書館でパソコンを開いている。

スマホに充電スペースを占領されてしまったらどうなるのか、記事の〆切を落としたライターはどうなるのか。電気代の払えない大人がどうなるのか、考えて欲しい。明日は我が身だ。私は先月色んなものを3ヶ月分くらいまとめて払った。

 

休日の日程を決められる

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ご存知の通り、図書館には本が結構ある。世界のナンチャラ、みたいな本もある。旅行本である。誰だって旅行はしたい。

長期休暇、近場だとGWがある。旅先を決められない人はみな図書館に行くと良い。

広々とした机に本を広げ、のんびり行き先を決めるのだ。声を荒げるのはマナー違反だが、旅を共にする人とひそひそ喋るくらいはいいだろう。カナダに留学して帰ってきた友達が「カナダの図書館は騒がしかったけど楽しかった」(意訳)と言っていた。喋り声を聞かれて周囲の人に顔をしかめられたらこのエピソードを思い出して気を持って頑張ってほしい。

 

ところで学生時代、その友人はおよそ30m先から私を見つけ、良く通る綺麗な声で私を呼んでくれたりなんかした。日本の図書館はその子には狭すぎたのかもしれない。

 

 

イベントがたくさんある

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図書館では色んなイベントが催されている。朗読会や、あとなんだろう・・・絵本の読み聞かせ?  まぁなんだ、色々ある。詳細は各図書館のポスターをチェケラ。

今度我が鹿児島市立図書館ではビブリオバトルもあるらしい。私はバカンス(まだ何も決めてない)で行けないのだが、都合のついた人は足を運んでみるのもいい。

 

おわりに

 

いかがだったろうか。あげればきりがないのでこの辺にしておくが、図書館はいいぞ。半分以上はノリで書かれているが、図書館は新刊本も割と早く入れてくれるし、色んな本があって楽しい。たまには全く関心のないコーナーに目を向けて見るのも面白い。

 

私はこの前食事のマナー本を借りて土瓶蒸しの正しい食べ方を学びました。

 

・・・・・・後編では、私の住む街の図書館について簡単に紹介したいと思います。

 

ではでは

 

文・左部

 

【書評】保坂和志『考える練習』を読んで色々と考えているフリをする―夏目漱石の『草枕』って保坂さんっぽいんじゃない?(左部)

 

 「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるんでしょうね」

「なあに」

「じゃ何が書いてあるんです」

「そうですね。実はわたしにも、よく分からないんです」

「ホホホホ。それで御勉強なの」

「勉強じゃありません。只机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」

「それで面白いんですか」

「それが面白いです」

「何故?」

「何故って、小説なんか、そうして読む方が面白いです」

「余っ程変ってらっしゃるのね」

「ええ、些と変ってます」

「初から読んじゃ、どうして悪いでしょう」

「初から読まなけりゃならないとすると、仕舞まで読まなけりゃならない訳になりましょう」

夏目漱石草枕』明治39.新潮.新潮文庫草枕』2005より引用

 

草枕 (1950年) (新潮文庫)

草枕 (1950年) (新潮文庫)

 

 

はじめに

少し前に保坂ファンの知己を得て、保坂和志の著書を勧められることがあった。そんな彼から最初に勧められた本が『書きあぐねている人のための小説入門』という本だった。内容に関しては、割愛するが、以降私は小説を書く際に「お話」を書くのではなく「一文」を繋げることに邁進しているように思う。いい変化だと思う。小説を書くことに関心のある方は是非とも一読されたい。

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

 

 

それはさておき、『考える練習』である。本書は大和書房より刊行されたものであるが、同社の三浦氏が、作家の保坂和志氏に質問を投げかけて、保坂和志氏がそれに解答していく、というインタビューの形式をとる。その解答がまた、いちいちカッコ良い・・・のかはさて置き、普段使っていない脳の部分を刺激されたような気になる。

私は氏の小説に先んじてこの本を読んだ。ファンでなくても、充分に楽しめる本となっている。

気になった箇所をピックアップしながら紹介していきたい。

 

考える練習

考える練習

 

 

 

※引用はすべて保坂和志『考える練習』(大和書房2013.4)による。

iphoneなんていらない

氏はiphoneなんて要らないと語る。数年前までガラケーを使用していた私も頷けるところが多い。会社の都合でラインが必要になった為にiphoneを購入したが、まあ別にガラケーでも良かったように思う。ガラケーからiphoneに変えて変わったことと言えば、Twitterに触れる時間が増えたことくらいだ。マイナスの方向での変化である。氏は、このように語る。

 

(電話がすぐに繋がるような、電話一本でなんでも出来る=筆者注) 便利な世界にするのがやつらのワナなんだよ。やっぱり電話を引くために半日、一日並ばなきゃいけない、この不便さがきっと何かだったんだよ。

 

利便性を追求した先に何があるかというと、やはり疲弊なのだ、と。スマホのおかげでどこでも商品を買え、誰とでもコミュニケーションを取ることが出来るが、その便利さに疲弊する人もいる。

24h時間営業するコンビニのおかげで深夜に食品を得ることが出来るようになったが、深夜に働く人間もいる。そもそも、深夜にコンビニに足を運ぶ人間も、深夜に働かなければいけない状況にある訳で、まぁ人々が便利便利と毎日生きていられる裏側があって・・・書き連ねればキリがないが、それはコンビニに限った話ではなく(私は昔コンビニで夜勤をしていた)、例えば、休日に仕事が入るかもしれないとゆっくり休むことさえ出来ないサラリーマンなんかもいる。保坂氏の言う「やつら」は便利さを提供する代わりに「なにか」を奪っていく。

 

続けて、氏は言う。

 

 iphone持って、あれが見れるこれが見れる、レストランがすぐ見つけられる、ウィキペディアでこれが調べられるとか言ってるけど、それだけのことでしょう。その時間がラクだから、ドストエフスキー(注左部=長編小説を何本も書いたロシアの作家。『罪と罰』など。1821年生まれ)を読む時間が減るんだよ。

 

便利になったことで、私たちは時間を得たのか、それとも失ったのか、疑問である。結果や解答ばかりを求め、それで満足してしまう。一つの物事に対して思考する時間は減り、短絡的な結論ばかりを求める時間が増えてしまったのかもしれない。

 

 

とあるブロガーのブログに「研究書は読まなくていい」と書かれ、何故なら「結果に反映されにくい」とあった。「結果」に反映されにくい本は読まなくていいのか。そうかそうか。小説への死刑宣告である。でもそう言う人もいる。

 

・・・そのブロガーがそういった結論に至ったプロセスについて考えてその人を理解しようとする営み、自分とは考えを異にする人に対して敬意を払える、というその想像力を養うことが小説を読むことで得られる一つの結果のように思うがこれは蛇足。

 

おわりに

 

枝の伸び放題の「書評」であったが、上述した文章は当然、本書『考える練習』のメインではないし、そもそも『考える練習』にメインなんてあるのか。本記事では枝の一本について書いているだけだ。

氏は文学に対して、次のように語る。

 

少なくとも、文学に日々接していれば、ひとつの軸だけではものを語れないっていうことはわかる。世界を見る目がひとつだけでは世界は見えないっていうことはわかる。(中略)単一の世界像みたいなものは幻想だってことを知るのが文学に接するということだよ。

(中略)

そういう、曲者であるところの文学から人を遠ざけるっていうのは、やっぱり人を考えなくさせていくことなんだと思う。

 

一つの軸だけでものを語らないように、気をつけていきたいところですね。

 

ところで私は昔恩師にこんなことを言われた。

 

大きな問題と格闘して、いろいろな本を読んだり、いろいろな勉強をしたことは、必ずいつか役に立つはずです。即効的なものでないからそれがいつになるかはわからないけどね。

 

だから何だって話であるが、保坂風に言えば文脈なんてどうでもいのです。

この記事を書いている内に、思い出したのでした。

 

 

ではでは。

 

文・左部

 

 

 

【雑記】京都文学フリマ(貝柱)

どうも、貝柱です。

名前には、メンバーを繋ぎとめる存在になりたい。そういう願いが込められています。

嘘です。

2019年1月20日に行われた「第三回京都文学フリマ」に行ってきたので、その記録を書きました。

……随分と昔の事のように感じます。

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【雑記】鹿児島モダン文学YAKATAで詩のワークショップー詩人の三角みづ紀氏とクラウン・ペペ氏

鹿児島モダン文学YAKATAで詩のワークショップー詩人の三角みづ紀氏とパフォーマーのクラウン・ペペ氏

 

キッチンのテーブルに座り

とろけた蕪を胃におさめて

お母さんみたいに

彼を抱きしめたい

生まれたての子が

お腹のスープから

出てくるときみたいに。

 

三角みづ紀「スープ」

『よいひかり』より一部抜粋ナナロク社、2018.8

 

 

よいひかり

よいひかり

 

 

 

突然だが昔、人に話すとひかれるくらいにaikoが好きだった。あれは高校1年の夏、部活を辞め、中退してもっかい入試受けるかー、と夢想していた頃。田舎の工業高校生だった私は、勉強に精を出すでも何かに没頭するのでもなく日々男臭い教室に身を投じ、ギャルゲーに興じる日々を過ごしていた。

ある日のこと、何気なくネット(私のいた工業高では一日6時間ネットサーフィンの授業があった)を見ていると、なにやらaikoという歌手がベスト盤を出すことになったと知る。高校生ながら日雇い人夫さながらであった私は、その辺の同世代より金を持っていた。なので買った、aikoのベスト盤。そしてブチ上がった。aikoのラジオが面白すぎて、私は思った。

「音楽業界に入ればこんなに面白い人と友達になれるかもしれない」と。

そしてキーボードを触りギターを買って作詞を始め携帯の待ち受けがビートルズからaikoに変わり女の子にキモいキモいと言われるようになったのであった。

 

・・・前置きが長くなったが、この前詩のワークショップに行った。最高だった。時間は止まっていた。ブチ上がった。隔絶されていた。

 

手紙を書くように詩を書く

 

コンセプトは手紙を書くように詩を書く、だ。 

 

導入として、クラウンぺぺ氏のパフォーマンスがあった。割とシぃんとした中でのパフォーマンスであったが、会場の熱も徐々に高まり、和やかなムードとなった。私はこのイベントを通して氏を知ったのだったが、すっかりファンになってしまった。なんというか、トムとジェリーを見ているような、懐かしい心持ちになった。下にリンクを。個人的には、ワークショップ中に参加されていたお子さんにアクションをかけているところがなんだか印象的だった。下記にリンクを

 

志免大道芸フェスティバル2014・クラウン ペペ - YouTube志免大道芸フェスティバル2014・クラウン ペペ - YouTube

 

さて、詩のワークショップである。拙いながらも詩作に励む人間としてはこれは参加せねばと思い参加した。企画を知った時は興奮したものだった。簡単に内容の紹介を。

 

①自分の好きなヒト/モノに対して手紙を書く。

②その手紙をもらったヒト/モノになったつもりで手紙の返事を詩で書く

③自作の朗読

 

という至ってシンプルな内容だった。

 

別所では、東京タワーに向けて書いた人なんかもいたらしい。好きなものだったら何でもいいのだ。この日は自分の仕事に対して書いてる人もいた。面白い発想だなぁと思ったりした。

書いた手紙は、封筒に入れて誰にも見せずにしまっておく。私は、発表される詩を聞きながら「この人はどんな手紙を書いたのだろう」と思いながら朗読を聞いていた。

ちなみに私は古い友人に向けて書いた(と恥ずかしくて言ってしまったが、本当は別の人に宛てた。そういう人は他にもいたかもしれない)。

 

以下、拙作。

 

サイズの合っていない

数年前の色を

塗りこまれた、

ドレス。

・・・・・・。

 

先端の真っ青で、

丸みを帯びた

甘いナイフ

船艇で、

放っ、た。

(もう知ることのない、海水の) ・・・・・・。

 

離れたばかりの

コルセットは、

ぽつんと声をあげて

(ほほえんでいる)

(あそんでいる)

(ただれている)

溺れていく。

 

少しずつシワの

よりはじめるであろう

顔を

まんじりと見つめる

私の顔が

君の眼球の奥で、

シワをよせた。

 

イメージの羅列みたいな作品になった。詩人を志す者として、出来はよろしくないのかもしれないが、はじめての試みで書かれた詩だと思うと、ワクワクした。

 

ちなみに朗読するとき、めっちゃ噛んで恥ずかしかったのもいい思い出である。

 

しかし、皆さん朗読の上手いこと。

 

ちなみに、主催の三角さんはクラウン・ぺぺさんに向けて詩を書いたらしいのだが、当のクラウンさんによってその詩は花束になっていた。

 

何のこっちゃと思うかもしれないが、A4の紙に書いた三角さんの詩(この場合、受け取ったクラウンさんが書いた詩、と考えるべきか)が花束になった。そして子どもにあげてた。素敵なことじゃないだろうか。写真のないのが残念だが写真に収めるような光景でもないのかもしれない。ちなみに、私はその光景を見ていた。羨ましいだろっ!

 

おわりに

主催の三角さんは「詩を身近に感じてもらいたい」と大体そのようなことを仰っていた。

何もないところから書くのは難しくとも、「手紙」、しかも人に向けて書くのではなく、もらった人の気持ちになって書く。確かにこれなら書きやすい。というか楽しい。

鉛筆持って一人黙々と紙に言葉を綴るよりも、誰かに想いを馳せて書いた方が、ある意味考えることが多い(もちろん、一人無に向かって言葉を紡ぐことは素晴らしいし私は普段そっちだ)。

少なくとも、詩を一遍も書いたことのない人にとっては、書きやすいだろう。

会場の皆さん、とても楽しそうに詩を書いて朗読していた。詩を書くとはどちらかと言えば辛い行為と思っていた私にとって、中々考えさせられるものがあった。

主催の三角さん、クラウン・ぺぺさん両氏の少し浮遊している雰囲気も相まって、本当に素晴らしい空間だった。繰り返しだが、世間から隔絶されていた。

この場を借りて両名に感謝を。

 

・・・と言うわけで、詩作に一瞬でも興味を持たれた方は、是非一筆書いてみるのも、いいかもしれませんね。

 

aikoと友達になりたくてギター持って詩を書いている内に詩人を目指しいてました、というお話でした。ああ、思えば最初に書いた歌詞はラブレターみたいなもんだったのかもしれない。ふわふわ。

 

三角みづ紀さんが選評している、南日本新聞の読者文芸コーナーがあります。是非、投稿されて見てください。字数に規定があるのでご注意を。

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文・左部右人